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お客様の声

株式会社千疋屋総本店

株式会社千疋屋総本店 代表取締役社長大島 博 様

聞き手:グラムコ株式会社 代表取締役社長 山田 敦郎

 

180年を超える老舗の大胆なブランド戦略

こうしてブランド戦略は始まった

山田

随分貴社とは長いお付合いをさせていただいていますが、最初に連絡を取り合わせていただいたのは1999年でした。そして2002年以来ずっとブランディングをお手伝いしてきました。

大島社長

2005年に三井タワーが完成して、1階と2階に本店を構えたわけですが、その前に三井タワーが出来る場所にあった本店を一旦通りの反対側に移設して、いわゆる仮店舗で営業しました。その時に新しいVIなどを実験的に導入した期間がありました。

山田

改めて最初にブランディングに至った経緯を教えていただけませんか。

大島社長

あれは私が40歳のときでした。1998年に父から継承しました。それまでは東京JC(東京青年会議所。40歳までの若手経営者が集まって活動する会で、「明るい豊かな社会の実現」を目指して、地域支援や振興策を実行したり国や都に提言したりする公益社団法人。1949年以来の長い歴史がある)の活動に専心しており、理事長なども務めさせてもらいました。今考えると、どちらかといえば会社は片手間だったんでしょうね。でも父である前社長が、私も社長業が出来るようになったと判断して、バトンタッチされました。

山田

どうしてブランディングだったんですか。

大島社長

1998年に社長就任した後、第一次ブランディングに取り組んで、第二次ブランディングは180周年(2014年)に向けてでした。二段階で取り組みました。
最初にブランディングを導入しようと思い至った経緯を申し上げると、それまで青年会議所活動をやっていたものだから、会社の中枢部がよく分からない。それで、自信も無いですし、父も自分のやってきた路線で行けという。だから、当初は父がやってきたことをしっかり継承しようとしたんですね。 ただ、私も齢40歳です。父のこれまでのやり方は、やはり自分の時代の感覚と合わない、しっくりこない。経営も店もビジュアルも中身も、これは全然合わないと思い始めました。
何とか変えたいと思っていた矢先のことです。三井タワーを建てることになって、(千疋屋総本店の建物が建っていた土地も含めて用地とする)建て替えの話が降って湧いたのです。
これは千載一遇の機会だと思いました。そこで、その建て替えに合わせて、人を介して山田社長を紹介され、お目に掛かることにしたのです。いろいろお話を伺って、これはブランディングをやらなくては、私の感性に合った経営は出来ないという判断に至りました。

新本店オープンとブランディングで飛躍的に成長

山田

当然お父上には相談されたんでしたよね?

大島社長

そのころは、そろそろ父と私の感覚が合わないことが多くなっていて、いつも議論していました。父は代表取締役会長で私は代表取締役社長、つまり二人代表です。1週間に一度役員会もやっていたのですが、意見の衝突はしばしばありました。でもこういう議論の繰り返しをやっていくうちに、父も徐々に変えていくべきと気付いてくれました。ただし、父が変えたいブランドの方向性と私のそれとでは違っていたのです。
父が考えていたのは、いわゆる「レトロ調」。悪くないんですが、少し色あせたイメージもあった。

山田

なるほど、懐かしい感じですね。喧々諤々の議論になったのでしょうか?

大島社長

本心から受け入れてくれたかは不明でしたが、説き伏せました。ただ会社の従業員もある程度(このままではいけないと)気付いてくれていたので、とにかく始めようと。そこでやり方も何も分からないので、グラムコさんに相談したんですよね。
最初にそちらにお話して、ロゴを変えるところまでで1年掛かりました。ロゴを変えて色のトーン&マナーとかも徐々に出来てきたんですが、最終的に全部替えるのには2~3年は掛かった。三井タワーの建設期間もあったので、その間仮の店舗でも新コンセプトでブランドを導入しましたが、三井タワーの建物が出来た2005年がブランディングのスタートの年だと思っているんです。しかし準備期間は長かったです。
本店改装のみならずその時に経営戦略も見直して、コンセプトとして「ひとつ上の豊かさ」をテーマに掲げ、敷居が高くて超えられないようなところにあるよりも、皆さんに知ってもらおうと考えて、高級路線から舵を切りました。特にケーキ類を充実させて、東京駅の中(いわゆるエキナカ)や羽田空港に出店して、インターネット事業も本格的に始めました。
そして売上が、ブランディングと(三井タワー1階、2階の)本店新装開店を契機に、飛躍的に上がったんです。私が父から社長を引継いだときの売上高から、2016年度の決算でおよそ5倍になっています。
2005年から飛躍的に伸びたことで、結局ブランディングをやって良かったという評価を得たわけです。それに今では、社員のみんなの志気を引っ張ることにも奏功している。正直言って、ロゴを変えた当時は半信半疑でした。今だから言いますが。

山田

でも導入に半信半疑ながら踏み切ったのは決断力ですね。

大島社長

自分の感性としては、(導入前の当時の印象は)世間からみてもダサいな、というイメージだったので、自分の感性を信じていたことも勿論ありますが、さらにアンケート調査もしてもらって、お客さんから見た印象を基本に組み上げたのがよかったのだと思います。

山田

ロジックがしっかり出来ていたし、成果も出されたので、結果お父様も満足されたのではないですか。

大島社長

そうですね。当初ビジュアル面を古めかしいと思って着手したんですが、ビジュアルのステップアップだけではなくて、ブランディングは会社の在り方そのものだと気づいたんです。理念から始まって、心の部分と形の部分。これは即ち会社の在り方だ。グラムコさんに手伝ってもらったブランディングの部分から始まって、経営も人事も現代に則したものに変えました。結局、全部変えましたね。ここ10年で人の新陳代謝もありました。今はすんなりと、デザイン面も含めたブランディングを共有してもらえるようになりました。

第一次ブランディングのさらに先へ

山田

2014年、180周年を契機に取り組まれたブランディングについてお伺いします。2002年に仮店舗で試験的に始めて2005年に新本店でリリースしたブランディングでも、ブランドコンセプトの定義はしましたが、2014年の180周年では、新たに日本や地域(日本橋)に貢献することを謳ったブランドビジョンを制定されたり、ブランドスタイルの開発、ひいてはブランドスタイルに則った社員の皆さんの振舞い方・行動についても手を入れられた。ブランドブックを作成して、全社内でシェアをするなど、活動としてはインパクトが大きかったのではありませんか。

大島社長

ブランドコンセプトのコアバリュー(ひとつ上の豊かさ)は、最初のブランド立ち上げ時に作っていました。それをどう形にしていくかが中心だったと思っています。ある意味で、当初策定したブランド理念やバリューなどをどう運用し実体化していくかが180周年のテーマだったと思っています。
コンセプトはあるが、イメージを見える形にして実体化していく、ということでブランドスタイルなどもつくったわけです。社員一人ひとりがそういう(ブランドの人としての振る舞いに関する)意識を持たないと、ロゴや包装紙だけを変えてもブランディングが完結しているとはいえない。まさに店舗は接客に尽きるので、一人ひとりへの浸透が大事なのです。

山田

「日本の食文化への貢献」を掲げたビジョン※を策定された意図は何でしたか。(2014年に制定したビジョンは、「自らも進化を遂げつつ、東京・日本橋の繁栄はもとより、日本の繁栄に貢献するとともに、日本の食文化の質を高め、食の歓びを大きく広げていきます。」というもの)

大島社長

ブランドとしてのさらなる地位確立を念頭に、東京・日本橋にある千疋屋総本店からブランドを発信していきたい。そんな思いでした。当時オリンピックの開催はすでに決まっていましたが、日本が観光立国を目指すという国の政策が打ち出されて、どんどん我が国がグローバル化していく中で、日本国内だけでなく海外にも千疋屋総本店のブランドを発信していきたいという思いもありました。そこでビジョンを高く掲げ、180周年という節目を祝ったのです。

ブランドの人としての振る舞い

大島社長

先ほども触れましたが、人の振る舞いは、うちにとって非常に大事です。メロン1個が1万数千円から2万円、リンゴだって数千円する店なので、お客様に接する際のスタイルがきちんとしていないと成立しませんし、従って販売員の教育も非常に大事です。180周年の際に社員全員に配布したブランドブックにも、接客したときのお客様の反応について、実話に基づいたエピソードを例示して掲載しましたが、その後も「いい話」をたびたび耳にするようになったのは嬉しい変化でした。
私どもの店はデパ地下などにも入っているわけですが、それぞれのデパートが店内で接客の良かったところを表彰するような制度を設けています。お陰様で、ここのところうちはよくこの賞を獲得するようになっています。

山田

千疋屋総本店は、比較的朝早くから営業されていますよね。あれは海外に行くときの土産を当日買うときなど、重宝しているんですが、朝早い時間帯でのすがすがしい対応も気持ちがいいですね。いつでもてきぱきしていて、笑顔も絶えない。そんな対応が研ぎ澄まされてきた気がします。

大島社長

昔は大番頭がドーンと構えていて、少し怖い感じだったかも知れませんが、今は笑顔で明るい雰囲気を作るようにしているんです。
私は、実は日本販売士協会、東京販売士協会の会長をやらせてもらっています。全国に27の支部があります。商工会議所の検定制度で、販売士という資格制度(3級から1級までランクが分かれている)があるんですが、それを私が社長になってから、従業員に受けさせています。仕入れから売るまでの店舗運営の過程や、原価計算の知識・陳列の仕方、接客の仕方など、基礎的なことが学べるようになっています。
今は入社すると必ずそれを受けさせています。ブランディングを導入してみて、店頭の雰囲気や従業員のスキルがとても大事だと気付かされました。みんな行く末は店長を目指して働いてもらっているわけですが、店長としての力量も付けてもらいたい。シフトを組んで専門知識を習得する勉強の時間をつくるなど、うまくやっていくことも重要です。

山田

今、店は何店舗くらいに増えましたか。2005年からどの程度増やしているんですか?

大島社長

インターネット事業もありますが、リアル店舗は15店舗ですね。そんなに増えていません。私が父から引き継いだころは13店ほどでしたか。大手町ビル、新大手町ビルとかイイノビル、昔のいわゆる大規模なオフィスビルに出店していました。それだけで商売が十分できてしまうくらい、日本の高度成長期やバブル期には儲かったんですが、もうそういう時代じゃない。ですからオフィスビルからは順次撤退して、今ではもっと時流にあったところに出しています(聞き手注記:駅中や空港、東京駅そばのKITTEなどのことを言われているのだろう)。

山田

再編をうまくやられたのですね。10年以上前とほぼ同じ店舗数ながら、1店舗あたりの数字を上げておられるのでしょう。営業力や販売力も増しているのでしょうね。

大島社長

空港や駅の売店は、すごい数字を売り上げています。経営戦略を変えたのが効いていると思います。品揃えとして加工品を増やしたのもそのひとつです。全体の小売りでいうと、生のものとケーキやビン詰、缶詰などの加工品に分けられますが、そのうち生が2割と少なく、他が8割。ただし、生の割合は減っても、売上規模全体が大きくなっているので、フルーツの売上自体は上がっています。

山田

グロサリーや瓶詰、缶詰にも千疋屋総本店のブランドが広がったという結果になりましたね。

大島社長

そういうことです。生のフルーツは本業だけに、当然これまで通り重視していますが、それが核となって、こうした周辺商品が売れているという状況です。

山田

東京・銀座の松屋にも、その隣の三越にも千疋屋総本店が入っている。2軒並んだ百貨店に同一ブランドで出店出来るのは珍しいことです。でも松屋はフルーツ、三越はケーキ屋さん。そういうことが出来るようになったのが、千疋屋総本店の強みともいえるでしょうね。

大島社長

よくご存じですね。その通りです。

創業の地、日本橋。地域への貢献とは

山田

右側のビルが千疋屋総本店の本社。左隣の提灯が連なる通りが、新浮世小路

2013年、総本店の中央通りを挟んだ真正面、以前から本社があった場所に新本社ビルが落成しました。以前のように千石ビルでもよかったのに、それをわざわざ浮世小路千疋屋ビルと命名された。これも歴史に名を遺す賑やかな通り、浮世小路※を再興しようという思いがあってなさったことでしょう。(※浮世小路は、様々な文献や落語にも出てくる、江戸のころに栄えた通りで、多くの店屋、食べ物屋があったという。今は、千疋屋総本店の本社ビルの脇を通って、新興成った福徳神社の鳥居や境内へつながる通りとなっている)

大島社長

榮太樓さんとか、にんべんさんのような老舗は、古くから当地で活躍されていますけれど、(COREDO室町のような)商業施設が多く出来てくると、その施設に入っている店舗はよそから入って来られますね。彼らとしては(縁も所縁もないから)地域に貢献しづらい。店の名前が違っていても、昨今では1つのフードビジネス企業がやっているといった店舗が増えてきているので、私たちのように古くからここにいるような店が貢献しないと、地域がうまく回らなくなります。
これだけ日本橋が注目され繁盛するようになったので、それに伴って私たちも、街づくりに余裕をもって対応出来るようになってきました。地域貢献とは街づくりの一環ですが、町が栄えればそこにある本店も栄える。互いに相乗効果があると思っています。

山田

この街もまだまだ変わっていくのでしょうか?

大島社長

高速道路を日本橋の上から外すのが念願です。親水性のある文化を今風に創っていくことになるでしょう。(日本橋川の)川沿いも再開発が進んでいるので、どんどん変わっていきます。
また室町3丁目交差点角の三井さんのビル(千疋屋総本店の並びの広大な敷地で工事中の、第2三井タワー的な地上26階地下3階の大型高層ビル。2019年竣工予定)はスマートシティの発想で、ガスで電気を発電するエネルギープラント(発電所)が地下に出来ます。災害時の対応など機能も進化していて、緊急時の送電で周辺地域のライフラインを守れるようになっています。例えばエレベータも動かせるし、生ものを扱っている私たちも、店内照明を落としてでも冷蔵庫を最低限稼働させることが出来ます。

グローバルブランドへの道を探る

山田

これからブランド経営をさらに推進していくにあたって、10年後、20年後の展望はいかがですか。

大島社長

長期視点のブランディングといえども、10年に1回くらいの頻度でブラッシュアップしていくべきでしょうね。かつては30年だったかもしれないですが、今は時間の流れが速いので、流行も取り入れながら考えていかないと。基本理念などは50年に1回見直すくらいかもしれませんが、ビジュアル的なことは10年ごとに見直すのもいいと思っています。
基本理念は長い時の流れの中でも変わっていないけれど、見え方ややり方は10年に1回はリニューアルしていく。すべてを直すのではないけれど、必ず一部でも直すことが必要でしょう。
私どもの戦略は、「東京土産戦略」です。普段遣いのグロサリーもありますけれど、やはりギフトが中心です。事実、果物は東京に一番いいものが集まってきます。市場の機能が高いですから。一つの産地だけだと、いいものが出来ない年もあるので、全国から最良のものを集めるという意味で、この市場機能を使うことが大事なんですね。ですから東京で調達して東京を中心に展開、という考え方は今後も基本的に変わらないでしょう。
ただインターネットでの販売も普及していますし、駅や空港にも店を出しているので、お土産を東京から全国各地へ持って帰っていただけるよう取り組んでいきます。さらに今始めているのは、海外のお客様対応です。海外から東京に来られた際に、千疋屋のフルーツパーラーで食べて帰られる方もたくさんおられます。そして来日するたびに来てくださる方もおられます。そこで、海外のお客様も増やしたいと思っています。
日系のデパートですが、タイ、香港、シンガポールの伊勢丹さんや、台湾の三越さんなどに、焼菓子、パックのゼリーなど加工品の売場出店を進めています。山本海苔さんやとらやさんも出ておられます。うちは、パックのゼリーがよく売れるんですよ。人工着色のものではないですし、味も格段に美味しいですから。
17年4月からシンガポール、香港、タイへ、宅急便での扱いも始めました。タイはバンコク市内のみの限定ですが、そういった配送サービスも利用して、日本からも送れるようになりました。
タイにも「母の日」があるんですよ。今は先年亡くなられた前首相の奥様の誕生日が母の日になっているんです(17年9月のインタビュー時点で)。これからは次の首相夫人の誕生日が母の日になります。この母の日にギフトを贈るという習慣があります。伊勢丹さんと一緒に、メロンを母の日に送る、という企画をやらせていただいたところ、大変好評でした。タイは食物検疫が比較的緩いので、ちゃんとお届けできます。航空便の送料も含めて、メロンは日本の価格の倍(25,000円前後)にもなりますけれど、需要は旺盛で、タイの富裕層はケタが違うなと思いますね。

山田

最初海外の皆さんはどうやって千疋屋総本店ブランドを知るのでしょうね。東京在住以外の方でもよくご存じなので、海外の方もお土産で贈られたり、東京に来たときに接する機会があってご存じなんでしょうか。

大島社長

当店は、海外の日本向けのガイドブックにも出ているんですよ。スイーツ特集とかでも掲載されるので、選んでいただけるんでしょう。インバウンドの人たちの口コミも勿論ありますね。

東京・日本橋三井タワー1・2階にある日本橋本店

山田

グローバル化が加速しているということですね。

大島社長

そうです。だんだん世界に広がっている。どうやって今後商売をしていくかが課題になります。アジア圏のお客様のように距離的に近い方たちは、手荷物で結構な量を持ち帰っておられる。先日某国の大使もごっそりお買い求めになられました。

山田

以前私が福島の復興関連の委員会メンバーをしていたときに、福島の果物をご紹介したら、扱ってくださった。

大島社長

そういうことです。生のフルーツは本業だけに、当然これまで通り重視していますが、それが核となって、こうした周辺商品が売れているという状況です。

山田

東京・銀座の松屋にも、その隣の三越にも千疋屋総本店が入っている。2軒並んだ百貨店に同一ブランドで出店出来るのは珍しいことです。でも松屋はフルーツ、三越はケーキ屋さん。そういうことが出来るようになったのが、千疋屋総本店の強みともいえるでしょうね。

大島社長

そうでしたね。福島に一心会(いっしんかい)というブドウの生産者グループがあります。本当に美味しいので、震災に合われたあと一度ご紹介して、以降もずっと(販売を)続けています。風評被害を受けていて気の毒です。うちとしては、引き立てて行きたいですね。いいものでなければいけない、という大前提はありますが、サポートしていきたいと思っています。

180年以上続く老舗として、他の老舗へのアドバイスは?

山田

100年以上続いている会社が、日本には27,700社あるそうです。この数は断トツで世界最大です。でも、老舗といえどもお商売がしんどくなっているところも多くて、平均売上高もそんなに高くないというのが実情です。何かアドバイスをしていただけませんか?

大島社長

時代の流れもありますし、伝統があるところでもその時々で革新していかねばなりません。ただ、後継者育成というのが事業承継していく上でも、老舗がさらに発展していく上でも大事なことです。後継者が育たないと、そこで途絶えてしまうということもあります。さらにいえば、人の教育や人材がすべてといえるでしょう。このことは老舗に限ってのことではありませんが。

山田

東京都の委員会で老舗のブランド化をサポートしているのですが、世代交代というか後継者育成は本当に大変ですね。

大島社長

息子でなくても、跡取りは構わないんですよ。従業員の一人を後継者にしてもいいし、本当にいない場合には、M&Aでどこか(の資本家)に受け入れてもらって技術継承していくとか、いろいろ方法はあります。いずれにせよ50年、100年、自社の誇れる部分やブランドをしっかり継承していくことです。
見える部分は10年ごとにブラッシュアップしていくにせよ、一度作ったコンセプトはそうおいそれと変えてはいけない。言葉の表現やデザインもそうですが、グラムコのようなブランド戦略に長けたところに、丸投げの委託ではなく、一緒に考えてもらう、というのが大事です。
これから日本がグローバル化していく中で、マーケットはおのずと外へ外へと広がっていくでしょう。ですから、中の視点だけでなく、外からの視点を加えてブランドを考える必要があると思います。コンセプトなりブランドを、(どんな国や地域の人にも)容易に理解できるよう分かりやすく表現していくのが、これからのブランディングの在り方です。
日本人だけだと、単一民族だから阿吽の呼吸で黙していても伝わるでしょうが、海外の方をターゲットにしていこうとすれば、文化も違うし完全に分かって戴くのも難しいということになるのですが、分かりやすくしていくためにブランディングが必要となるでしょう。 日本の老舗もうまくブランディングしていけば、今後繁栄できる業種業態があると思います。ブランディングをうまく活用したらいいんです。

グラムコへのご要望は?

山田

お付合いをさせていただくようになって、15年が経ちました。長いお付合いで多少甘えているところがあるかも知れません。何か弊社にご要望なりご不満はございますか。

大島社長

いや、引き続き宜しくお願いしたいと思っています。今後2020年のオリンピックを超えていくと、2025年あたりにまた何か変化が起こるのではないかと思っていますが、そのあたりで、ブランディングも再び見直しを考えていきたいと思います。
10年に1回は磨きをかける。ただし基本理念は「ひとつ上の豊かさ」を貫いて、今後50年、100年続けられればいいなと思っていますし、コアバリューも色褪せないでしょう。自分の感覚だけでは限界があるので、是非そういうときにアドバイスをお願いします。

山田

本日は長時間有難うございました。

千疋屋総本店 日本橋本店店内のご紹介

千疋屋総本店1階メインストア
1階カフェディフエスタ
千疋屋総本店2階デーメテール
2階フルーツパーラー

企業情報

企業名:株式会社 千疋屋総本店
所在地:〒103-0022 東京都中央区日本橋室町2-1-2 日本橋三井タワー内(日本橋本店)
創 業:1834年(天保5年)
従業員数:160名
URL:http://www.sembikiya.co.jp/